地震発生当時の様子
地震が発生したとき、私は町内の沿岸部にある下水処理場で仕事をしていました。丈夫な建物だったのですが、あまりに尋常じゃない揺れでしたので真っ先に外に出たんです。外の処理プールの水は溢れ出し、内陸部では所々ですごい埃がたっていました。それから一時避難所の役場に向かいました。
家内が自宅に子どもを迎えに行っていました。しかしそれは、津波の方に向かっていることを意味していました。たまたま電話がつながったので、「津波が来るから引き返せ」と言いました。本当に不幸中の幸いというか、本当にそこが運命の分かれ目だったという感じです。
子どもたちに対する思い
楢葉町を離れ各地を転々としました。その後、いわき市内にある楢葉町の仮設小学校に通わせました。子ども達も町の友達と一緒に過ごしたいという思いもあったので、その願いを叶えてあげたかったんですよ。だけど上の子は中学校からは野球部のある学校へと進学をしました。楢葉の中学校には野球部がなかったので転校するしかなかったんですよね。
こんな状況になってしまいましたが、やはり自分で活路を開き、やりたい目標に向かってチャレンジして欲しい。私は父としてそういった環境をつくってあげたいと思ってます。やっぱり震災を言い訳にした人間にはなってほしくないですよね。
インタビュー日 | 2015年6月10日 |
---|---|
インタビュー証言者 | 渡辺岳志氏 |
地域 | 楢葉町 |
対象時期 | 震災当日 |
---|---|
災害の種類 | 津波, 原発事故 |
タイトル | インタビュー日 | 地域 | 対象時期 |
---|---|---|---|
学校を続けていくことは、楢葉の… | 2014年7月16日 | "楢葉町" | 6か月以上 |
やっぱり震災を言い訳にした人間… | 2015年6月10日 | "楢葉町" | 震災当日 |
楢葉町社会福祉協議会の再開後の… | 2014年6月25日 | "楢葉町" | 6か月以上 |
愛犬とお父さんと一緒に | 2012年11月 1日 | "楢葉町" | 震災当日 |
避難先の方との交流は俺の最重要… | 2014年7月 2日 | "楢葉町" | 6か月以上 |