身近に感じた風評被害
いわき市の草野中学校に避難した後、夫の実家がある仙台市へ避難しました。仙台市内も被災していたので、食糧などは並ばないと買えない状況でした。当時、上の娘は小学校5年生でしたが、新学期が始まる頃になっても、楢葉町に関する情報がまったく入ってきませんでした。仙台で避難しているときは、「いわき」ナンバーの車だということだけで、駐車場から車を移動するように求められたり、風評被害を身近に感じることもありました。
その後、楢葉町の災害対策本部が会津美里町に移ると聞いたので、問合せたうえで、美里町内の宿泊施設へ移動しました。
幼い娘の子育てについて
正直すごく悩んでいます。下の子は震災当時2歳だったので、楢葉町よりもいわき市が育った町になるんですよね。楢葉町の自宅に帰って、その子に「おうちに帰ろう」と言われたときに、「ここがおうちだよ」と言っても理解できないんですよ。
除染をして数値的にはほぼ問題ないことは分かっているんですけど、風評被害などもあって将来が不安です。飲み水でさえ水道から飲むのは躊躇しますね。安全だけど安心ではないです。お子さん連れの家族がどれくらい戻るのか分かりませんが、帰るのと帰らないの二通りのプランを天秤にかけながら家族で話し合っています。
インタビュー日 | 2015年6月11日 |
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インタビュー証言者 | 遠藤仁子氏 |
地域 | 楢葉町 |
対象時期 | 6か月以上 |
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災害の種類 | 原発事故, 風評被害 |
タイトル | インタビュー日 | 地域 | 対象時期 |
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