震災当時とその後の牛の世話
震災当時は、楢葉町内にいて、突然大きな揺れとともに屋根の棟や瓦が落ちてきました。家族は家の中にいて無事でした。当時高校生だった三女も学校にいたためそこに避難して無事でした。
翌日、町に避難指示が出され、家族は栃木の親戚の家に避難することになりましたが、私は飼っていた牛のことが心配なのでいわき市に留まりました。しばらくは、牛の面倒を見るためにいわき市内の避難所から家まで通いました。しかし楢葉町は、4月22日に警戒区域に指定され、自由な立ち入りが規制されました。これにより今まで世話をしてきた牛をすべて手放さざるを得ませんでした。
今後の事業再開に向けて
現在は、いわき市の避難先から週一回楢葉町に通っています。避難指示が解除されればもう一度牛の飼育を再開させたいと考えています。しかし、これまでは牛を競りに出して新たな子牛を買うという形でやっていたので、ゼロからのスタートとなるとお金がかかります。再開に向けたハードルは非常に高いです。
特に農業関係には活用できる補助金が少ないため再開は難しく、高齢の酪農家の多くは辞めると思われます。再開に向けた条件は厳しいですが、娘たちは楢葉町に戻りたいと考えているようなので、子どもたちに牛の飼育を受け継いでもらうべく頑張りたいです。
インタビュー日 | 2015年6月18日 |
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インタビュー証言者 | 渡辺秀幸氏 (渡辺農林) |
地域 | 楢葉町 |
対象時期 | 6か月以上 |
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災害の種類 | 原発事故 |
タイトル | インタビュー日 | 地域 | 対象時期 |
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