震災当時の体験とその生活
震災直後は楢葉町の事業所にいて、ものすごい地震で、大きく重い高所作業車がバッタンバッタンと揺れていました。東京の姉から連絡を受け初めて津波を知り、従業員全員を家に帰しました。会社から発電機を持って自宅へ帰宅後テレビが使えたので近所の人達も観に来ていました。
夜中に第一原発が爆発したことを知り、原発から10㎞圏内の富岡に住んでいたので避難しました。避難所や親戚等を頼り、避難生活を送っていましたが、3月頃「いわき市勿来に現場があるからお願いしたい」と同業者に声掛けを頂き、従業員7,8人位と間借りしながら1年弱生活しました。
今後の事業再開の展望
2011年11月、四倉工業団地内に仮事務所を設けて本格的に仕事を再開しました。現在、8名の正社員で仕事をしています。再開当時は広野火力発電所の復旧作業を行い、現在は電気設備の解体やメガソーラー等の送電線を地中に埋める作業に従事しています。また、コンソシアム10社位で行っている楢葉沖20㎞に設置された洋上風力の一部作業等、受注内容は多岐にわたり日々変化しています。
今後社会貢献するという意味では、楢葉町に戻られた高齢世帯の電気工事等を手伝いたいですし、地域に根ざし地元の方を雇用していくこと等が事業所の役目だと思っています。
インタビュー日 | 2015年6月18日 |
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インタビュー証言者 | 河口隆志氏 (河口電気工事取締役) |
地域 | 楢葉町 |
対象時期 | 6か月以上 |
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災害の種類 | 原発事故 |
タイトル | インタビュー日 | 地域 | 対象時期 |
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