証言記録

御用聞きスタイルの支援活動

3月20日に小名浜の潮目交流館でイベントをやることが決まっていたので、そのイベントを実施できるかどうかを確認したくて、翌々日に小名浜に行って被災状況を初めて目の当たりにしました。泉にいても市内の状況が全然わかっていませんでした。いわき市でどんなことが起きているのか実際自分たちの身には直接わからない状況の中で、13日に現場に行って見て、「ああっ、これはものすごい大きなことがあったんだ」と理解しました。小名浜だけじゃない。もっと北の宮城と岩手の被害がひどいのはテレビで見えていても、いわきで何が起きているか全く分からなかったのです。その後、市役所の保健福祉部門に勤めていた友達から、津波の被災によって避難している人たちが防寒着がなかったり靴がなかったりの状況にいるということを聞いて、ピープルのストック品の中からすぐに提供できそうなものを運ぼうということで、16日から動き出しました。

 同時にとにかく避難しなければということで、家族が避難する、しない、20代の娘を避難させる、させないと、原発のことでうちの中はもう喧々諤々でした。娘だけは避難させた後、89歳の年寄りは絶対に動かないと言って聞かなかったので、彼女が逃げられればオーケーでしょうということで、その後は家にいることをそこで判断をしました。ここにいるのであれば、できることをやろうということで、動ける状態にあったピープルのスタッフと一緒に動き始めました。

最初はガソリンがないので、(社)いわき市社会福祉協議会の小名浜地区センターに防寒着や靴とかを運んで行きました。うちは古着のリサイクルやっている団体なので、震災直後に繊維のリサイクル関係でお付き合いのあった兵庫県のカーペット会社から「避難所に真っ先に敷くといいよ」ということで、4tトラック1台分のロールカーペットの提供を受けました。でもガソリン不足の状況下で私たちでは運びきれないので、いわき市の競輪場の救援物資ストックヤードに入れてもらいました。でも、結局私たちが実際に競輪場に足を運べるようになった23日まで物が動かないままであったのです。私たちはいわき市災害対策本部にも電話をして、こういうふうに使ってくれということを伝えていたにもかかわらず、それが全然できていなかった。結局自分たち市民が動かないと何も変えられないのだということがわかったので、自分たち自身で動くということを判断しました。

 そのほか、震災後に赤ちゃんを放射能汚染から守るためにお引っ越しをさせようというプロジェクトを大阪の市民グループが立ち上げて、いわき市については当時ネット上で放射能汚染のことで悪いデマが飛び交っていたので、いわきから逃がしてあげたい、避難させてあげたいということで、これに乗せて避難させてあげてくださいと、うちにマイクロバスの提供がありました。各方面に募集の告知依頼をしたけれども、パニックを起こす危険性があるということで取り上げてもらえなかったんですね。結局は大阪からの迎えの車に2家族が乗って避難していきました。そして、緊急車両の登録済みのマイクロバスがガソリン満タンで自分たちの手元に残った状況になったので、それを使ってカーペットを配ったり、冷凍庫が壊れた水産加工屋さんが提供してくれた冷凍魚やかまぼこをマイクロバスに積んで入居型の福祉施設に携帯で電話かけながら配って歩いたりしました。実際避難所へ行って避難してきた人たちの状況を見たときに、本当に必要なものがきちんと届いていないことを知り、自分たちでサポートできる部分があるのじゃないかということで、そこからは継続的に物資を配給し始めました。

 避難所では赤ちゃん抱いたお母さんや車椅子の人がいるなかで、物資を配りながらニーズを聞きました。「何か困っているものないですか」と聞くと、こういうものが欲しいんだけども、届かないという話はたくさん聞こえてきました。回っていたのはスタッフ4名です。避難生活が長くなると、日常生活がその避難所の中で始まるわけじゃないですか。そうすると、その日常生活の部分で必要な、例えば入れ歯の接着剤だったり、耳かきだったり、爪切りだったり、老眼鏡だったり、女性の様々なサイズの下着だったり、緊急物資ではないそういうものが欲しいという要望をたくさん聞きました。そして、私たちは今まで古着のリサイクル関係でネットワークを地域外の団体と持っていたので、そちらに対して情報発信して、向こうで購入できるもの、集められるもの集めていただいて、それをピープルに送ってきていただき、それを届けるということを行いました。御用聞きスタイルみたいな形でね。

あとは、自分たちでも競輪場からもその当時は物資を運び出して配給できたので、ある程度避難所がコンスタントに動くようになるまで配りました。食の部分では、4月1日から避難している方たちの自立を促すという意味で、自炊の炊き出しをできるように食材と調理機器の提供を行いました。それが6月の半ば過ぎまで続いて、約2万食になりました。いわき産の野菜をスカイストアを介して買い上げて、それを数カ所の避難所に配るということをしていました。

インタビュー日 2012年10月25日
インタビュー証言者 吉田恵美子氏(特定非営利活動法人ザ・ピープル代表/いわき市小名浜地区災害ボランティアセンター代表)
地域 小名浜

詳細情報

対象時期 震災当日
災害の種類 地震,  津波,  原発事故,  風評被害
関連URL http://www.iwaki-j.com/people/

関連する証言記録

タイトル インタビュー日 地域 対象時期
御用聞きスタイルの支援活動 2012年10月25日 "小名浜" 震災当日
誰でも集えるという場をつくる 2012年10月25日 "小名浜" 6か月以上
小名浜地区災害ボランティアセン 2012年10月25日 "小名浜" ~3週間
原発事故後のボランティア活動継 2012年10月25日 "小名浜" ~3週間
小名浜から泉町にいる父のもとへ 2012年10月25日 "小名浜" 震災当日

関連する震災写真